常任理事 大山 朝賢
新垣哲先生を囲んで:左より新垣先生ご令嬢亀山成子先生、新垣哲先生、大城徹先生、糸数健先生
西武門病院理事長、新垣哲先生の栄えある旭 日双光章受章祝賀会が平成2 2 年6 月1 7 日 (木)、ハーバービューホテルクラウンプラザ (彩海の間)にて行われました。多くの会員や 病院関係者の中に先生のお孫さんもご出席され て祝賀会を盛り上げて頂きました。
始めに主催者を代表して宮城信雄沖縄県医師 会長より祝辞が述べられた後、全日本病院協会 沖縄県支部常任理事で、浦添総合病院理事長宮 城敏夫先生から新垣哲先生の業績が紹介されま した。続いて来賓を代表して、奥村啓子沖縄県 福祉保健部長のご挨拶を頂き、新垣先生が所属 する那覇市医師会の会長で県医師会常任理事の 真栄田篤彦先生からご挨拶を頂きました。
その後、県医師会やお孫さんも含めた病院関 係の方々から記念品・花束贈呈が行われ、新垣 哲先生からお礼のご挨拶が述べられました。
それから新垣善一議長の音頭による乾杯のあ と懇親会へ移りました。
会長をはじめ諸先生のご挨拶を掲載します。
宮城信雄沖縄県医師会長 挨拶
本日ここに、新垣哲 先生旭日双光章受章祝 賀会を開催いたしまし たところ、多くの方々 にご参加賜りまして、 厚く御礼申し上げます。
新垣先生のご業績は 後程詳しくご披露され ますが、先生は那覇市医師会・沖縄県医師会役 員として県内の救急医療体制の確立を図ると共 に、全日本病院協会並びに同協会沖縄県支部の 役員として、我が国における病院施設の向上発 展を図り社会福祉増進に尽力されたご功績によ り、栄誉ある章を受章されております。
先生の輝かしいご功績は、私ども会員はもと より県民だれもが等しく認めるところであり、 特に本県の歴史を振り返ってみたとき、先生が これまで果たしてきた役割はいかに大きなもの であったかを改めて認識するものであります。
ここに、先生の永年のご労苦に対し沖縄県医 師会を代表して深甚なる敬意と謝意を表する次 第であります。
さて、皆様ご高承のとおり平成十三年の小 泉内閣発足以降、政府が「聖域なき構造改革」 と称し、社会保障費を削減し続けてきた結果、 医師をはじめとした人材不足を起因とする産科 医療、小児科医療、救急医療等の受入不能問 題、医療事故の多発、医療機関の倒産などが 相次ぎ、今や我が国の医療は崩壊の一途にあ ります。
そのような中、昨年行われた総選挙によって 大勝した民主党は社会保障費の機械的削減を廃 止すると共に、医療費をOECD 加盟国並に引 き上げると明言しているところでありますが、 平成22 年度の予算編成において、医療費につ いては診療報酬が改定されたものの、実質的な プラス改定にはつながらず経営環境を改善する には至っておりません。
先日の鳩山首相の突然の辞任によって後を引 き継いだ菅新首相は先の所信表明において社会 保障の充実に取り組むとの決意を示されてお り、国民の命と健康を守るためにも最優先課題 として公約の実現を強く望むものであります。
新垣先生をはじめとする諸先輩方が、これま で長年にわたって築いてこられた地域医療の崩 壊を食い止めるべく、我々後進も一丸となって 医療行政の進むべき道を正していかなくてはな らないと固く決意するものであります。
新垣先生におかれましては、何卒今後ともそ の卓越したご見識によるご指導、ご助言を賜 り、県民が希求する安心・安全な医療の構築に お力添え下さいますようお願い申し上げる次第 であります。
終わりに臨み、新垣先生の今後益々のご健勝 並びにご多幸を祈念いたしましてご挨拶といた します。
業績紹介
宮城敏夫 全日本病院協会沖縄県支部常任理事
この度の新垣哲先生 旭日双光章受章に際し、 輝かしい数々のご功績 の中から主なものを簡 単にご紹介させていた だきます。
先生は昭和3 5 年3 月、昭和医科大学医学 部を卒業され、国立世田谷病院でインターンと して1 年間勤務された後、昭和36 年6 月より、 現在の県立中部病院の前身である琉球政府立コ ザ病院にて勤務されました。
そして、昭和43 年10 月に西武門外科医院を 開設されると共に、昭和57 年5 月、現在地に 西武門病院を開設されました。以来、今日にい たるまで42 年余にわたり地域医療の向上発展 に努めておられます。
開業当初より新垣先生の大腸肛門疾患の手術 は定評があり、県内、県外に止まらず、国外か らも西武門病院での手術を希望する患者さんが 多く、今日に至るまで4 万人余の手術を行って いるとのことであります。
そうした数々の症例を経験された先生は、各 学会において研究発表を行い、我が国の学術高 揚に大きく貢献されております。
またその間、生業に及ぼす甚大な犠牲を厭わ ず、昭和46 年7 月から2 期4 年間、那覇市医師 会理事の要職を務められ、在宅輪番当直制度・ 公設民営急病センター設立、那覇市医師会ガン センター設立、復帰時における国民皆保険制度 への切り替えへの対応、那覇市医師会会館建設 などに尽力されました。
中でも、昭和47 年の本土復帰に際しては、 医療保障制度の急激な変化に制度の受け皿が不 十分であったことから、行政側の混乱や、看護 師をはじめとするコ・メディカルの不足、国民 健康保険を実施するにあたっての受診率の上 昇、旧那覇病院の事実上の機能停止等、医療の 現場にさまざまな混乱をもたらし、特に夜間急 病、救急医療は危機に直面し、那覇市医師会が 実施していた輪番宅直制度も当番医の辞退が相 次ぎました。
そのような中、新垣先生は担当理事として長 年に亘る自身の救急経験を生かし、県・市・那 覇市医師会における三者協議会において折衝を 重ね、公設民営急病センターの設立に多大な貢 献を果たされております。
今日における、救急医療体制の確立があるの も、新垣先生のご尽力によるものであるといっ ても過言では無く、改めて先生のご労苦に感謝 申し上げる次第であります。
さらに、昭和50 年12 月からは沖縄県医師会 理事に就任されると共に、昭和55 年4 月には副 会長の要職に就かれ、沖縄県保健医療協議会員、 沖縄県保健医療福祉事業団運営委員、沖縄県医 師国民健康保険組合常務理事・副理事長、沖縄 県社会保険診療報酬支払基金幹事、沖縄県地方 社会保険医療協議会委員、沖縄県医師会病院部 会理事、沖縄県医療審議会委員の要職を歴任さ れており、6 期12 年余の長きにわたって県医師 会の会務運営、事業推進に尽力されました。
また、先生は昭和60 年に全日本病院協会理 事に就任、昭和62 年には常任理事に就任され、 我が国における病院の向上発展とその使命遂行 を図り、社会の福祉増進に寄与されておりま す。同協会においては総務委員会、企画室委員 会、学術委員会、救急・防災委員会、国際交流 委員会を歴任されており、救急委員会において は、東京都私立病院会救急委員会・アジア医師 連絡協議会と共同で「病院防災早わかりビデ オ」を企画制作し、好評を博しております。
さらに、昭和63 年の全日本病院協会沖縄県 支部設立の中心的役割を果たされると共に、平 成4 年には支部長に就任され、各種研修会や学 会を多数企画開催し県下の学術向上に貢献され ました。
戦後50 年の節目にあたる平成7 年には、第 37 回全日本病院学会を学会長として開催して おり、同年発生した阪神淡路大震災を教訓に、 AMDA の菅波茂代表と合同でシンポジウムを 開催しております。
現在も支部長として、長年にわたって県内の 病院経営の質の向上に努めると共に、良質、効 率的かつ組織的な医療の提供を通して、社会の 健康および福祉の増進を図ってこられました。
また、平成12 年に開催された九州・沖縄サ ミットでは、県外から派遣された警察隊員に対 する健康管理のため、全日本病院協会沖縄県支 部の協力のもと医師・看護師が派遣され無事成 功裏に導かれております。
以上のような数々のご功績が認められ、この 度旭日双光章を受章されました。
新垣先生におかれましては、今後も益々ご健 勝でご活躍されんことを祈念いたしまして、簡 単ではございますが業績紹介を終わります。
この度の受章、誠におめでとうございます。
祝 辞
奥村啓子 沖縄県福祉保健部長
新垣哲先生の旭日双 光章の受章祝賀会が開 催されるにあたり、ごあ いさつを申し上げます。
新垣先生、この度の 栄えある受章、誠におめ でとうございます。心よ りお祝い申し上げます。
この「旭日章」は国家又は公共に対して功労 がある者のうち、功績の内容に着目し顕著な功績 を挙げた者に対して授与されるものであります。
新垣先生におかれましては、全日本病院協会 常任理事をはじめ、全日本病院協会沖縄県支部 長、沖縄県医師会副会長、那覇市医師会理事と しての御功績や、那覇市救急診療所の前身であ る公設民営救急センター設立への関わり、長期 にわたる西武門病院での実績や学校検診の対応 が、本県の保健・医療・福祉の向上や発展に大 きく貢献し、この度旭日双光章、保健衛生功労 として授与されたものであり、その御功績に対 し深く敬意を表します。
また、沖縄県医療審議会の委員も歴任され、 本県における医療を提供する体制の確保に関す る重要事項等を調査・審議していただきまし た。感謝申し上げます。
沖縄県においては、「安心して暮らせる保健 医療の充実」を図るため、健康づくり運動を推 進するとともに、医師等医療従事者を養成確保 し、患者・利用者の視点に立った医療の確保や 予防対策の推進並びに地域医療の質の向上と切 れ目ない医療提供体制の整備に取り組んでお り、今まで以上に県医師会をはじめ関係者の皆 様と連携・協力し、総合的な保健医療体制の確 立に努めていきたいと考えております。
今後とも一層の御支援、御協力を賜りますよ うお願い申し上げます。
結びに、栄えある表彰を受けられました新垣 先生のますますの御健勝と御活躍、沖縄県医師 会の御発展並びに会場の皆様の御健勝を祈念申 し上げ、お祝いの言葉といたします。
真栄田篤彦 那覇市医師会長
新垣哲先生、旭日双光 章受章まことにおめでと うございます。
本日、祝賀会が開催され るにあたり、那覇市医師 会を代表して、一言祝辞を 述べさせていただきます。
先ほど紹介がありまし たように、先生は那覇市医師会理事を2 期4 年、沖縄県医師会を6 期12 年余りの長きわた り医師会の会務運営、事業推進に多大な功績を 残されました。
現在、新聞による本日の救急医療施設紹介欄 には、約25 の病院が紹介されております。い つでも、どこでも自由に救急医療が受けられる 今日のシステムができるまでには、実に30 年 余りの年月を要しております。
先生は那覇市医師会救急担当理事として、在 宅輪番当直制度・公設民営急病センター設立に 多大な功績を上げられました。
特に本土復帰時の救急患者搬送は、所轄の警 察署が担当していましたが、復帰翌日より市町 村の消防署が受け持つ事となり、システムの大 混乱が生じ社会問題となっていました。新垣先 生は昭和47 年、沖縄県、那覇市、那覇市医師 会医で三者協議を立ち上げ、公設民営急病セン ターを設立させ、地域医療を守るべく、那覇市 医師会全会員202 名中、154 名の先生方が輪番 制で急病センターを運営されました。そのご苦 労に深く敬意を表します。
新垣先生は昭和57 年に西武門病院を開設以 来、那覇市医師会では若狭班に所属されており ます。私も平成3 年より若狭班に所属し、20 年 近くお付き合いをさせて頂いております。先生 は古い習慣にとらわれることなく、常に斬新な 企画を推進し実行する行動力を有しておりま す。小さな事にこだわらない度量の広さと指導 力、おおらかな人柄で「哲」先生と敬慕されて います。
さて、西武門病院のホームページを観ますと 「おしり一筋40 年」というコピーと赤ちゃんのお しりの写真が飛び込んできます。おしりで悩んで いる人々を安心させることのできる先生のお人柄 を感じる事ができます。また、今では一般家庭に も普及していますが、当時発売が始まったばかり の「ウォシュレット」を開院と同時に院内トイレ にいち早く完備されたと聞いております。
結びになりますが、今後も「おしり一筋50 年、さらに60 年」
新垣哲先生のますますのご健勝とご活躍並び に会場の皆様のご健勝を祈念申し上げお祝いの 言葉といたします。
新垣哲先生 謝辞
皆様、本日は大変お忙しい中多数ご出席頂 き、誠にありがとうございます。
去る5 月12 日皇居に参内して天皇陛下に拝 謁し、暖かいお言葉を頂戴し大変喜んでおりま す。通常は配偶者でなければ同伴出来ないので すが、少々身体が不自由なため、杖代わりに娘 を同伴することが許されました。
皇居というのは、堀の外側と内側では全く違 うという点が第一印象でした。私の拙い言葉で はとても言い表せないほど、とにかく素晴らし く、五月の若芽がちょうど燃え盛る頃で、凛と して静謐と言いましょうか、大変すばらしい所 だと感じました。
皆様もご存じと思いますが、日本建築の粋を 集めたような感じで、しかも簡素で暖かく、実 に素晴らしいところだと思っております。
先ほどから、宮城信雄県医師会長、宮城敏夫 全日病沖縄県支部常任理事、真栄田篤彦那覇 市医師会長、奥村啓子県福祉保健部長には、 色々お褒め頂いておりますが、実は何もやって きておらず、ただ業績だけが羅列されているよ うなもので、私自身は内心忸怩たる思いがあり ます。振り返ってみると、自分でも忘れていた ことを以外なところで思い出す感じでありまし て、そのひとつひとつに触れていくと話が長く なりますので、このぐらいにしておきますが、 やはり医者というのは特殊な職業でありますの で、ある意味では大変厳しい仕事だと思ってお ります。しかし、これも役員をしたり会員の皆 様に接して、そのひとつひとつが勉強になり、 先生方と親しく付き合うことによって自分が成 長でき、大変勉強になりました。また、これか らも勉強に励みたいと思います。
本日は私は呼ばれた身であり、自分でお金を 出した訳では無く、皆さんにご馳走になってい るわけですが、そういう意味では大変楽な気持 ちであります。
言い忘れましたが、このタキシードは約15 年前に娘の結婚式の際に着けて以来で、それ以 来ずっとクローゼットの中に仕舞っていたんで すが、先日、出して着けてみたら以外と着られ たので、そういう意味では当時と今とはそんな に体型が変わっていないのではないかと思って おります。
これからも志は高くもって常に生涯現役の気 持ちで益々頑張っていきたいと思います。
先生方のご多幸を切にお祈り申し上げ、私の 拙い挨拶に代えさせて頂きます。
ありがとうございました。