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尊厳死について考える県民との懇談会

玉井修

理事 玉井 修

期日:平成21 年10 月4 日(日) 於:沖縄県医師会館

平成16 年から年に3 回ほど医療に関する県 民との懇談会を開催してきた。これは医療を取 り巻く様々な社会問題をテーマとして、中小企 業団体中央会や老人クラブ連合会等の様々な組 織の代表者を招いての懇談会であった。この懇 談会では県立大野病院医師逮捕の問題や沖縄県 の産婦人科医療の問題、ドクターハラスメント 等をテーマとして真剣な議論が行われ、懇談会 を通じて医療に対する理解を深められたと確信 している。4 年間この様な形で意見交換を行っ てきた経験を踏まえ、次のステップとしてもっ と広く県民の参加を呼びかけた懇談会を開催す るべきという意見がふれあい広報委員の間から 起こり、直接県民と語り合う懇談会を入場無料 で広く県民に参加を呼びかけようということに なった。

しかし、直接健康に関わるテーマを取り上げ 啓発していく県民公開講座とは全く違った切り 口で、医療に関する社会問題を議論するという 試みは実際にプロジェクトを進めていくと大変 困難なものであることを痛感した。平成20 年 には実際に浦添のてだこホールで、「後期高齢 者医療制度、療養病床削減、在宅医療」につい て懇談するため開催を試みたところ、広報不足 と参加希望者を返信はがきで募集するなどの取 り組みにやや無理があったのか、何と参加希望 者はたったの9 人であった。やむなく昨年の開 催は中止に追い込まれ、まったくの企画倒れに 意気消沈し県民との懇談会の持ち方に関して再 度企画の練り直しを行わなくてはならなかっ た。そして今年リベンジを期しての計画を練り 始めたのである。まずはテーマを「尊厳死を考 える県民との懇談会」とし、錚々たるパネリス トをお迎えする事ができた。会場は沖縄県医師 会館が今年から使用可能となったので、予算や 会場規模から考えて沖縄県医師会館を使用する事とした。そして何といっても告知をポスター 等に大いにこだわり、NPO 法人や医療機関に 自然に馴染む様な作り込みを行った。企画その ものをより充実させるため、パネリストとの打 ち合わせも当日を合わせて3 回も行い内容のす り合わせをしっかり行った。そして本番当日、 昨年9 人だった参加希望者は今年170 人の事前 申し込みがあったのである程度の出足は見込 み、充分な量の配付資料を準備し、しっかり会 場設営を行ったと思っていたのだが...。何と参 加者は予想を大きく上回る350 人、3 階のホー ルには入りきらず、2 階の別室にVTR を流す という急ごしらえの会場設営を余儀なくされ、 しかも2 階会場の音響が不調であった。万難を 排し望んだつもりが、思わぬ不便を参加して頂 いた県民にかけてしまい、大変心苦しく思って いる。何しろ県医師会館で350 人を収容したの は今回が初めての経験であり、2 階会場にVTR を配信するテストはこれまでも何度も行ってき たものの、実際にこのシステムを使ったのも初 めてという想定を越えるものであった。何度シ ミュレーションを行っても、不測の事態はハイ テク器機には避けることができない。会場設営 についても、もっと想像力を働かせて収容人数 を増やす努力をすべきだったと非常に反省して いる。参加人数9 人の企画倒れになった昨年と のあまりのギャップに翻弄され、大きな課題を 運営面に残した。これを大きな反省材料とし て、しっかり次回の懇談会に生かしていきたい と思う。

講演の抄録

尊厳死について

なぜ今、死のあり方が問題か

従来の医学は延命を図ることに重点が置か れ、死の問題を避けてきたようにみえる。人間 の命は有限で、いかに医学・医療が進歩しても 不治・末期の状態は厳存しており、そこでは積 極的治療がむしろ不適切と考えられ、延命措置 が尊厳ある生を冒す事態がしばしば見られるよ うになった。

かつては80 %を超えていた在宅死が今では 15 %にまで激減し、代わりに病院死が約90 % となっている。このことは手厚い医療が受けら れている証拠である反面、無意味な延命措置の 頻度も高いと推定されている。

尊厳死とは

高齢社会では健やかに生きることが最大の課 題であるが、その一方で不治・末期の回復不能 の状態では、自分の死に様を自分で選ぶ尊厳死 に世間の関心が高まっている。尊厳死とは、そ のような状態になった場合、人間らしい安らか な死をとげるために延命措置を拒否する死のあ り方で、自然死と同義である。

日本尊厳死協会では、本人の意思に基づいて 延命措置を拒否するリビング・ウイル(尊厳死 の宣言書)の普及を目指しているが、その骨子 は次のとおりである。

1.病気が不治・末期で死期が迫っている場 合、徒に死期を延ばすだけの一切の延命措置 を拒否したい

2.但し苦痛を和らげる措置は最大限実施を希 望する。

安楽死との相違

安楽死とは注射・毒物投与などの積極的方法 で死期を早めるもので、自然の摂理の経過に任 せる尊厳死とは根本的に異なる。

日本尊厳死協会は安楽死には反対の立場をと っており、日本には安楽死を容認、推進する団 体はなく、その素地もない。

尊厳死法制化を目指して

医療現場では患者や家族はリビング・ウイル を主治医に提示して尊厳死のへの協力を求める ことになるが、死亡会員遺族に対して行った調 査では、95 %以上の方が主治医から何らかの 協力が得られたと答えている。しかし終末期の 定義が曖昧で、延命措置の中止に関して法的根 拠がないために、主治医側が躊躇したり、実施 に踏み切れず、患者側と主治医の双方が悩む場 合も少なくない。そのために日本尊厳死協会は 2005 年に尊厳死法制化の請願書を国会に提出 し、2007 年に日本医師会は、「終末期医療ガイ ドライン」を発表した。しかしガイドラインだ けでは規制力がなく、延命措置の中止によって 担当医師が民事あるいは刑事上の責任を問われ ないように尊厳死の法制化が必要である。

在宅および福祉施設における看取り

高齢者は一般に住み慣れた地域や自宅で最期 を迎えたいとの希望を持っており、福祉施設に 長く住んでいる利用者が、そこで最期を迎えた いと希望することも多い。

この現実を踏まえて、2005 年の介護保険制 度の見直しでは、福祉施設および訪問介護にお いて看取り介護加算が認められた。

在宅や福祉施設での死では、一般に濃厚な延 命治療は行われないことが多く、在宅死や福祉 施設での看取りが普及すれば尊厳死の実現に近 づくと予想されている。

尊厳死に対する反対論

反対する議論には、先ず安楽死との混同があ る。また不治・末期になれば、すべての例に治 療中止を迫るであろうとの誤解がある。本人意 思が不明の場合は従前通りに延命治療を続ける のは当然である。

とくに障害者団体が強く反対しているが、本 人の意思がない場合に延命措置を中止すること はあり得ず、この反対は杞憂に過ぎないと考え ている。

日本尊厳死協会について

日本尊厳死協会は1976 年に発足したが、昭 和天皇の濃厚な延命治療、ライシャワー元駐日 アメリカ大使の尊厳死、東海大学事件、そして 2006 年の射水市民病院事件など、世間の関心 を集める毎に会員数は増加し、現在会員は12 万名を超え、全国に9支部を置いている。会員 数の増強とともにリビング・ウイルの普及に取 り組み、尊厳死法制化の実現を目指して活動し ている。

おわりに

尊厳死運動は自己決定権を行使して「健やか に生き、安らかに死ぬ権利を自分自身の手で守 る」ための一種の人権運動であると理解してい る。「安らかな死」は高齢社会のキーワードで あることを強調したい。

緩和ケアの現場から

【はじめに】

「生・老・病・死」。先人は、私たちが避け て通る事のできないこの現実、その事実から、 目をそらすことなく直視することを教えて下さ いました。これらの重い荷物が、そして十字架 が自然の一部であることをも教えていたものと 思われます。

しかし、際限のないモノの豊かさを追い求め る高度経済成長の時代においては、これらが克 服されるべき対象として「生き抜く術」のみが 価値あるものとされ、「老い」も「病」も、「死」 もまた敗北とされ、タブー視され、忌み嫌う文 化が蔓延し、定着したように思えます。

結果として得られた社会は、戦争、暴力、自 然破壊、温暖化現象、銃の乱射、麻薬の氾濫、 自殺、子が親を・親が子を殺す、理不尽な殺 人、金銭のための衝動的殺人等々、混沌とした 「切れる」「切れた」社会です。

個々の思いやりの絆(きずな)が、「欲」と いう名のハサミで切断され、地縁・血縁の絆 が、合理性という名の刃物で切り裂かれてしま いました。コンクリートで固められた景観は、 自然との接触をも遮断しようとしているかのよ うです。沖縄が埋め立てられていく。自然との 関わりも「切れた」、切れてしまいそうです。

医療の現場も、混沌とした渦の中に飲み込ま れんとしています。医師を含めた個々人のライ フスタイルの変化に、制度の改革が追いついて いない。臨床の現場だけではなく、基礎医学の 分野においても全く先が見えない。教育界、医 療界は「平安」を求める人々の、そして社会の 礎(いしずえ)としての役割を果たすべく再編 を模索しています。

高齢化社会を迎えました。地道な試みです が、医療を提供する側と受ける側の信頼関係を 築くことは大切な変革の基盤となるものと考え ます。共に「尊厳死」について考える機会が、 「尊厳ある生」について語り合う場となり、足 下に、そして将来に一条の灯りを見いだす機会 となれば幸いです。

【緩和ケアの現場の諸問題】

(1)不明確な自己決定権

沖縄県においては、正確な病名が告げられ ていないことが多い(テーゲー主義)。

(2)介護力の不足

緩和ケア病棟においても「孤独な死」が存 在する。

(3)緩和ケアとホスピス的ケアの非分離

緩和ケアには相応の費用が必要。

麻薬を含めた高額な医薬品・治療手技のた め経営上困難を極める。

(4)対象が「がん」と「エイズ」

尊厳ある「死」の場面は、他疾患において も提供されるべき。

(5)高齢化社会

老人保健施設、在宅医療との連携が必要。

【難病医療の現場の諸問題】

(1)障害者自立支援法施行に伴う自己負担の増加

経済的悩みからの解放が先決。

(2)安全管理

10 年、20 年の人工呼吸管理の時代。在 宅、入院を含めた安全管理のたの人的配置が 必要。

(3)生き甲斐の問題

多くの職種(心理療法士・ソーシャルワー カー、作業療法士等)、ボランティアの支え を必要とする。

(4)家族の負担軽減

入院、在宅の垣根を低くし、家族の要望に臨機応変に応える体制の確立。

(5)社会全体で支える体制の確立

生活、教育、情報の提供

【まとめ】

その人らしく、懸命に生きる方々のために社 会全体として支える体制を整えることが急がれ ます。「コミュニケーション」とその手段の確 保、そして「思いやりの心」とその輪が「尊厳 死」の重要なキーワードとなることを患者さん が教えてくれました。

「尊厳死」の問題は宙に浮いて存在するもの ではなく、「尊厳ある生」に連続する形で成就 されるものかもしれません。

【資料:緩和ケア病棟のある病院】

  • ・オリブ山病院
      那覇市首里石嶺町4−356
  • ・アドベンチストメディカルセンター
      中頭郡西原町字幸地868
  • ・国立病院機構沖縄病院
      宜野湾市我如古3−20−14
  • リビング・ウィルについて
    〜「遺言」と「治療の事前指定」〜

1 自分で決定する自分の医療という(尊厳 死、緩和ケアー、在宅での医療)テーマで医 師会が市民と意見を交換するこのシンポの意 義は大切。

2 しかし、安楽死とか尊厳死の問題に触れるので非常に緊張する、命と医療の問題なので 避けて通れない。生命を救うのが医療であ るが、救えない命にどう対応するか。

3 患者の持つ自己決定権(憲法13 条) のこと。 自己決定はインフォームド・コンセントが あってはじめて成り立つものではないか。

4 法律のいう「遺言」とは何か。 遺言は相続財産についての処分のみを認め、 それ以外のことについては遺言を全く認めない。 遺言書のつくり方、その意義・効力について。 命(治療) についての遺言は無効。

5 家族や本人が治療方針を決めることができ るのは医学的、倫理的に妥当な範囲内に限る 場合ではないか。

在宅医療における看とり

在宅ターミナルケアに於ける看取りについて

在宅でターミナルケアを行い在宅で家族や看 護師等と共に看取りを行なう事例が増えてきま した。癌・神経難病・各種臓器不全患者などは 現在でも急性期医療を主として行なう病院で死 を迎える場合が80%近い状況ですが在宅での尊 厳ある生を全うし尊厳ある死を迎える事を希望 する患者や家族が徐々に増えているようです。

日本では戦後の有る時期までは在宅で死を迎 える事が普通でした。経済の成長と共に医療制 度の整備充実・医学や医療技術の進歩、入院医 療機関の発展等が実現し国民の平均寿命も世界 一になりました。又農村から都市への人口の流 動化や家族制度の変化の中で在宅で死を迎える事が困難になり在宅死は減少の一途を辿り現在 では病院で死を迎える事が圧倒的に多くなりま した。

しかし病院で死を迎える事が人間としての尊 厳を損なう事例が増えている事が社会問題にな り終末期医療の在りかたについて国民的合意の 形成が求められるようになりました。

厚生労働省は平成18 年に終末期医療に関する ガイドライン(案)を発表しました。ガイドライン では患者、家族の意思の尊重とインフォームドコ ンセント、多くの医療関係専門職から成る医療 チーム、多専門職から成る委員会の設置を提案 し患者にとって最善の治療方針をとる事を提案 しています。終末期医療の在り方は現在も国民 の各階層で論議は進行しています。

いわゆる、尊厳死の問題の国民的合意形成は 来だ充分とは云えない状況と思われますが国の医 療政策では看取りの場として病院から在宅への 流れは加速しています。その為の受け皿として在 宅療養支援診療所・訪問看護ステーション等へ の保険診療の診療報酬や介護保険の介護報酬の 改訂も行なわれています。後期高齢者医療制度 の創設も行なわれました。

種々のアンケート調査では6 割の方が在宅での 看取りを希望しています。現実は2 割程度しか希 望は達成されていません。癌患者の場合は在宅 死は1 割程度です。国は近い将来3 割程度の在宅 死を目標にしています。

在宅で尊厳ある生と尊厳ある死を実現する為 には克服すべき制度上の課題も多く、死につい ての国民的議論も深める必要が有るとおもわれ ます。回復の見込みの無い死期の迫った患者の 生命をどう考えるのか在宅での看取りの経験を 通して討論に参加させて戴きます。

座談会

○玉井座長 皆様お疲れさまでした。早速で すが、一言感想をお伺いしたいと思います。

源河先生いかがでしたでしょうか。

○源河先生 予想を超える参加者の数に驚い ており、県民が非常に高い関心を持っておられ るのだと感じております。

今回の懇談会で終末期医療についてより理解 が深まったのではないかと思います。

今後も、「健やかに生き、やすらかに死ぬ」 ことの大切さを訴えていきたいと思います。

○石川先生 なかなか15 分で話しを纏める のは難しいですね。今回はこれから深い部分に 差し掛かるという所で終わったような感があり ます。これから第2 弾、3 弾でニュアンスを変 えて哲学的な事も含めて議論を深められると良 いと思います。

○永吉先生 もう少し時間が欲しかったです ね。先ほど懇談会を終えた際に参加者から一人 15 分の講演では短すぎるとのお叱りを受けま した。今後も定期的に医師会主催で開催できる と良いですね。

○山里先生 私もこんなに多くの方が参加さ れるとは思いませんでした。しかも在宅医療は 未だ認知度が低いので、質問が出てくるだろう かと思っていましたら以外に反応があったの で、ホスピスなどが始まっていることを知って もらえただけでも良かったと思っています。

また、尊厳死の問題でも、例えばがんの場合 や、神経難病の場合など色々あります。ホスピ スケアも日本では、がんとエイズだけにしか認 められていない中で、実際にはどういったこと で皆さん苦労されているのか、今後は焦点を絞 って開催しても良いのではないかと思っていま す。これをシリーズ化して発展させていっては どうでしょうか。

○玉井座長 源河先生のスライドの中に生と 死を考えるお話がありましたが、その啓発の一 環として在宅ケア、がん告知の問題など、非に重要だと思います。沖縄県は宗教やトートー メーなどいろいろな問題があります。今日だけ では本当に入口に立っただけという気がします。

実際、フロアなどから、もう少し運営をしっ かりやってほしいとのお叱りを受けましたし、 こんなリアクションがあることを想像もしてな かったですね。

○永吉先生 もう少し時間をおけばもっと質 問が出たでしょうね。言いたいことが言えずに 帰るような感じでしたね。

○玉井座長 僕もそう思います。今日は質問 については、挙手にしたんですが、質問用紙に 書いてもらったらもっと質問があったかもしれ ないですね。

挙手だと、あの大勢の中では気後れしてしま いますよね。

次回からは質問用紙をお配りしたいと思い ます。

○山里先生 質問用紙を配って、なおかつ発 言したい方にはその場で発言していただいても 良いのではないでしょうか。

○玉井座長 このように県民も意識が高まっ ている中、在宅支援診療所にしてもそうですが、 手あげが少ないし、実際の現場のことについて 会員にも周知徹底していきたいと思っています。

○山里先生 がん拠点病院で研修が始まって ますが、それを受け入れる診療所も少ないで す。そういう点ではもっとこのような機会を増 やしてもらいたいと思います。私自身もホスピ スについて学びたいと思っております。

○石川先生 緩和ケア病棟は常に20 〜 30 人 待ちの状態です。大きな問題は高齢化社会と緩 和ケアなんです。患者さんの症状コントロール は上手くいって落ち着いてはいるのですが、が んがあることを理由に家に帰すことを拒否され るんです。そのような方達で占められているの で、本来入るべき患者さんが入って来られない 状況なんです。

高齢化社会における緩和ケアは非常に大きな 問題で、連携をどうやっていくかが大切だと思 います。

○山里先生 本日の講演の内容は、これまで の中で割と上手くいったケースを話したんです が、最近は上手くいかないケースが多くなって きています。病院は平均在院日数を2 週間に近 づけないと医療経営が上手くいかないし、医師 も看護師も足りない。そのような中で患者さん を追い出さざるを得ない状況に追い込まれてい ます。しかしながら、このような患者さんを介 護できる家はほとんどありません。亡くなる1 週間前に送られてきて家で診ているうちに様態 がおかしくなって、救急車で運ばれて翌日に亡 くなるというケースが増えて来ています。

正に日本の医療が崩壊する中で、色んな問題 が起こってきています。

○玉井座長 救急医療が疲弊している中で、 在宅で診ることを希望して家で介護していても いざ亡くなりそうになると、救急病院に運ばれ て来ます。

その病院で救急蘇生をし始めるんです。場合 によっては司法解剖までされることがありま す。実際の現場ではとんでもないことが起きて います。

○永吉先生 次回は救急医療について懇談し てもよいのではないですか。

○玉井座長 そうですね。生と死を考える県 民との懇談会という形でもってもよいかと思い ます。

とにかく、この懇談会は1 回で終わらせるの では無く、継続してやっていくことが必要だと 実感しています。

本日はどうもありがとうございました。




懇談会当日、参加頂いた方々にご意見・ご感想を賜りましたので、下記の通り掲載いたします。

1.65 歳、女性、那覇市

老衰で経口摂取ができなくなった97 歳の母は、医師より、胃ろう、経管栄養の話が出たが、家族の話し合 いによって自然死を迎えさせたいと決まり、先生に苦痛緩和をお願いし、点滴と酸素吸入で死期までの1 週間 家で子、孫、ひ孫達に看取られながら静かに眠るように亡くなりました。1 週間母の側で一緒に居た時間がす ごい宝になりました。

2.46 歳、女性、那覇市

延命措置のあり方については、近くにいる家族の関わりが一番大きい。もしその時になったらといつも不安 を抱えている。

今回の催し物は、母が新聞で知り、医師や、弁護士、病院関係者の多くの方々の意見を聞きたくて、仕事を 休んで姉も誘って参加した。講演はとても参考になった。家に帰ってすぐ話の話題にしたい。

3.65 歳、女性、那覇市

2 年前母を見送った。22 年間の長い闘病生活であったので、家族で最後は家で看取ることを決めた。訪問看 護師とホームドクターの温かい支援があり、今でもそれで良かったと話している。会話が不自由であったので、 みんなで歌を歌ったりした。家庭内でいろいろな音を聞きながら静かに見送ることができたことに誇りすら感 じた。

4.61 歳、女性、伊江村

兄弟、家族全員の協力で母(98 歳)を在宅で看取ることができた。今回のような機会に接することがあっ たら、もっと良い介護ができたのではないかと思う。こういった機会をもっと多く開催して欲しい。

5.59 歳、女性、南城市

13 年間パーキンソン病と闘い、13 年前に県立南部病院で家族に看取られた実父は、リハビリにも懸命でし たが、生前延命治療ははっきり拒否していた。主治医も話を聞いて頂き理解をしめされ静かな死を迎えること ができた。それから数年舅を看取り、実母の心筋梗塞、脳梗塞、肺の手術・・・、4 年前に尊厳死に直面した 自分がいた。悪性リンパ腫、再発、末梢血幹細胞移植、再々発でセパリン治療をすすめられ・・・。

再発時は、自分の尊厳を守れない機器で管理された自分を夫やこども達以外の誰にも見られたくないと思っ た。それも大事な尊厳の一つ。

6.60 歳、女性、那覇市

一人で生活しています。親ナシ、子ナシ、夫なし、弟も妹も姉もいません。一人っ子です。今は元気です が、今後が不安です。知人の親が病院をたらい回しにされる姿に老後の不安を感じている。尊厳死協会で老人 ホームをつくって欲しい。

7.60 歳、女性、那覇市

母親の寝たきり状態が10 年間続いた。話すことも歩くことも出来ず、口を開くこともなく、食事の時は家 族も大変であったが、一番は本人がその介護を喜んだかが疑問である。話ができたらこんなに生かしてくれる なと言っていたのではと思ったりする。母は93 歳で他界。

8.53 歳、女性、南城市

母の死を通して自分の生き方、死についても考えるようになった。母は突然亡くなったので、生きている 間に死についてもっと話し合っておけば良かった。伝えたいことがたくさんあったと思う。死は避けては通れ ないこと、死を考えると言うことは、どう生きるか、一日をどう過ごすかを考えることだと思う。

9.62 歳、男性、大宜味村

生きると言うことは死ぬと言うことでもあり、早くから死について感心を持たせると言うことが大事だと思 われます。そして日々、自分の終末はどうありたいかと言うことを口にして生きるのが必要だと思われます。

10.女性、豊見城市

闘病期間の長短・死去する年齢に関わらず死の受容については個人差があると思う。また、残された家族は 故人の治療などについて、「これでよかったのか」と思い悩む。入院中の治療方針や経過説明が医療者側から あったかどうかで遺族の悲嘆の度合いが変わってくる気がします。

11.59 歳、男性、浦添市

父の死の際、とても迷うことが多かった。日常的にこのような機会をつくって、考え方をまとめ、家族に伝 えておくことも重要。今回のような機会を多くつくって下さい。有り難うございました。

12.54 歳、女性、宜野湾市

最近は看取りなどが理解され、告知される方が多い。緩和ケア病棟のベッドの増加が必要と思う。

13.43 歳、女性、那覇市

がんになった父は、死を受け入れることができず闘い続け苦悩していた。私は応援することしかできなかっ た。色々なホスピスケア、死に関する本を読んで安らかに最期を迎えて欲しいと願っていたので、本人が最期 を否定し続けている以上、難しいと思った。

「治らない」とか「死」とかいうことを本人が認めない以上、家族も治ることを祈り闘うことしかできなか ったが、それで良かったのかと疑問におもっている。また、やはり在宅で看取りたかった。

14.64 歳、女性、宜野湾市

老母(91 歳で死亡)臨終・死期について主治医は予想がつけたと思うが家族が立ち会えなかった(間に合 わなかった)ことについて、不満や悔しさを感じている。

貴重な機会をどうも有り難うございました。

15.70 歳、女性、読谷村

身内の死の受容はなかなか難しいことで、腫れ物に触れる雰囲気ですが、医療従事者はもう少し積極的に家 族親族に対して死の準備教育というか心の準備教育にアプローチされると大変助かると思う。

16.75 歳、男性、那覇市

自分の父の最期に立ち会った時に感じたことです。延命処置を施していたのですが末期で無意味と考えても身 内のみんなの意見に従うしかできなくて残念でした。そのことがあって私は絶対に延命処置は避けるべきと今考 えています。

17.38 歳、女性、西原町

私は医療に携わる者ですが、色々な方の死、看取りをしてきました。個人には死に方を選ぶ権利があると思 います。しかし、それが行われているのは未だ少ないような気がします。一般の方、医療の人がもっともっと 個人の権利死ということについて話し合う(考える)ことが必要。

18.55 歳、女性、沖縄市

これだけ情報がありながら死を自然にと言っても不安が募る。誰が先に行くかとは神のみぞ知るということ です。誰がおくり人になるかも同じことです。各人の希望、思いを分かり合うことは大事なことと知りました。

19.64 歳、女性、南風原町

15 年前に亡くなった義父の自由に父らしい生き方、死に方に、残された遺族として「泣かないで済んだ」と 私が言った言葉を息子が覚えていて、オレも母さんが亡くなるときその言葉を言いたいと・・・母さんらしい 生き方をやってくれ・・・との思いを受けて今、生(活)きています。

20.68 歳、男性、那覇市

去年98 歳で母を見送った。まだあたたかい母の延命中止をやるわけにはいかない。近代医学を総動員して 一秒でも長く命を確保すべきである。

21.54 歳、女性、宜野湾市

核家族での介護力不足、コミュニケーションの欠如、家族の和、団らん不足等課題を抱え、如何に自分の家 族の終末を迎える事が出来るか考えていく必要があると思います。

22.45 歳、女性、沖縄市

終末期には仕事を休んで介護に専念できる周囲の環境が整っていたら、自然にそれができる。そのような雰 囲気があったらなあと思います。

23.78 歳、女性、豊見城市

主人は尊厳死にて看取り、献体により見送りましたが、大勢の方の忙しい手を煩わすことなく、告別式もし なくてよく、人生最後の別れを家族だけで静かに見送って有意義だったと思っています。

24.73 歳、男性、宜野湾市

妻が3 年前胃がんで死亡した。ガン治療で重要なことは痛みの緩和だと思われる。まだ充分とは言えない。 今後の課題だと思われる。

25.63 歳、女性、豊見城市

母が認知症、寝たきりに近い状態でここ3 〜 4 年入退院を繰り返している。介護、療養生活は自分の問題と して受けとめないといけないと思う。そのことをもう少し勉強したい。

26.21 歳、女性、読谷村

これまで身内の死は突然で、死について考えることは少なかったけど、死について考えておくことは積極的 な生き方であると感じました。有り難うございました。