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研修医へのメッセージ

永山盛隆

豊見城中央病院整形外科部長 永山 盛隆

今回、<若手コーナー>への寄稿依頼があ り、うっかり自分が若手医師の代表の一人とし て書かせてもらえるかと勘違いをしてしまいま した。今年はとうとう50歳の誕生日を迎えてし まったのでとても若手とは言えませんが、精神 年齢が低いせいか親子程の年齢差がある若い研 修医と一緒でも違和感は有りません(相手はど う感じているか知りませんが…)。

現在、私は整形疾患の患者様を相手に忙しく も充実した楽しい毎日を送らせてもらっていま す。当院は後期研修医を含めて13名の整形外 科医が勤務しており、人工関節の手術件数は年 間500件を優に超え、全国でも有数の整形外科 病院として評価されています。とても忙しい 中、体力的には年齢と共に下降線をたどるのは 致し方ないことですが、せめて気持ちだけでも 研修医時代のモチベーションを持ち続けていた いと肝に銘じています。

そこで研修医の皆さんにエールを送るために 私の研修医時代のことを振り返りながらお話を させて頂きます。

私は昭和58年に名古屋大学をやっとの成績 で卒業し、何とか国家試験もクリアして大学の 関連病院へ就職致しました。当時の名大は他大 学とは異なり卒後すぐに入局する人は少なく、 現在の研修制度と同様に学外の病院で初期研修 を行い、その後で希望の科に入局するパターン がほとんどでした。県立中部病院の研修医試験 に不合格となり、卒業試験と国家試験で精一杯 だった私にとって何の科が自分に合っているの か、一体何をやりたいのか見つける時間が全く 有りませんでした。名大にいてとても幸運だっ たと思っています。

研修の基本はまず救急医療をマスターするこ とからだと考え、部活の先輩のつてを頼って愛 知県安城市の中核病院で消化器外科半年、内科 半年のローテーションをさせて頂きました。救 急病院ゆえに消化器以外の他科の症例も数多く 経験することができました。全く何も出来ない 就職1週間目にいきなり当直を言い渡されまし た。そしてその日にCPRの症例が運び込まれ、 現場の緊張感を嫌というほど味わされてしまい ました。幸い仕事のできるナース陣と偶々居残 りの上級医がテキパキと対応して下さり事なき を得ました。実は当病院は当直でもないのに何 人かのドクターが泊まることが多く、何かにつ け助けられる場面がありました。私も毎月3千 円の家賃でアパートをあてがわれていました が、洗濯のため月3日程帰るくらいでほとんど 院内生活をしていました。お陰で当直に関係な く救急外来・病棟・手術室で多くの経験を積む ことができました。

現場では基本的な医療行為をナース(当時は 全て女性で、各部署に必ず主がいました)から 学ぶことも多く、いろいろ厳しい躾を受けまし た。研修3ヶ月を過ぎた頃から立場が逆転した ように記憶していますがいい勉強になりまし た。今でもナースとは変な意味からでなく仲良 くすることが大切と考えています。例えば夜間 当直の際に病棟などからコールを受けた場合、 どんな内容でも決して怒ることなく感謝して対 応することです。怒ると次からは大事な情報の 提供も受ける頻度が減るばかりでなく、助けて もらえなくなるのです。初めのうちは周囲から ○○先生と言われくすぐったい気分であったの が、慣れとは恐ろしいもので無意識のうちに 「私は先生」が当然となり、逆に○○さんと呼 ばれると変にムカツク自分が見え隠れするので す。難しいことですが初心忘るるべからず、常 に謙虚さを持ちつづけることがこれからのドク ター人生には求められるのです。医療は絶対に 一人ではできないのですから。

私にとって毎日が新鮮な経験を積める研修1 年目でした。1年目ながらも学会発表の機会を 各科で与えられました。“やる気がある”と上 級医に認められればOPも執刀させてもらいま した。例えば虫垂炎手術を半年の間に17例程 担当させてもらい多少の自信がつきました。麻 酔でも自信をつけさせてもらいました。その頃 の麻酔は研修医の仕事で呼吸管理はレスピレー ターを使用することなく全て手動でした。眠く なるので立ちながらバッグを握るのですが結構 きつい仕事でした。昼食兼トイレの30分の休憩 を許されるのみで13時間もの手術をずっと手動 で維持したことがあり、腕のだるさと指先のし びれで最後の1時間の長かったことを今でも忘 れません。研修医はまず何と言っても体力なの です。難儀な経験から自信は生まれてくるもの です。私の場合も1年目に難儀をさせてもらっ たお陰で今でも難儀な仕事を大して辛いとは思 わないで過ごすことができています。難儀で忙 しい事はむしろ楽しい事であり、辛い事ではな いということを若い先生方は覚えてください。 逆に暇で自分のやりたいことが出来ないことは とても辛いものです。

1年の研修を終えて、その間に自分の方向性 も何とか見つけることができ、琉球大学整形外 科に入局が決まりました。病院送別会で院長 (一見やくざ風だが気の優しい外科医)に「お みゃーさんはいい医者になるよ」と言われ、そ れに少しでも応えるよう頑張ってきたような気 もします。私にとって忘れ難い有意義な1年間 であり、現在でもその頃の医療精神が生き続け ていると確信しています。現在の研修カリキュ ラムを見ていて、単なるポリクリの延長になる かもしれないことを危惧しています。如何に新 鮮で実り多き内容にするかは、皆さんがアクテ ィヴィティ・モチベーションを如何に持ち続け て行動するかということにかかっているので す。既に専門科目を決めている方もおられるで しょうが、本当に納得の行く進路を見つけるこ とはとても難しいことだと思います。

20年以上前とは医療の質・制度も異なるため あまり大したことは言えませんが、限られた研 修期間に周囲に流されることなく積極的に自分 探しをしてみて下さい。受け身はいけません。

ここまで話すと如何にも病院漬けでほとんど 院外には出ない生活に終始したと思われるでし ょう。実は病院の傍には広いグラウンドがあり 体育会系のドクター集団故に早朝野球の練習が あり、試合にも参加していました。アフター5 の飲み会(当時、カラオケでは杏里のキャッツ アイが流行っていました。)も盛り上がったり して、決して堅物生活ではなかったことを申し 添えておきます。

研修時代を精一杯エンジョイして下さい!