副会長 玉城 信光
会場風景
去る4月1日(土)・2日(日)、日本医師会館において標記代議員会が開催された。本会からは、宮城信雄代議員、小渡敬代議員、金城進代議員と小生(玉城)の4名が出席した。
当日は定例代議員会に先立ち九州ブロック日医代議員連絡会議が開催され、九州医師会連合会前担当県として本会宮城会長から、九州医師会連合会の諸行事が滞りなく無事終了することが出来たことに対するお礼の挨拶があり、引き続き、前議事運営委員の井石長崎県医師会長より、3月25日(土)に開催された議事運営委員会で協議された当代議員会の運営、代表質問・個人質問の順番等について、個人質問に立たれる陣内代議員(福岡)より、質問項目の提案要旨について説明が行われた。
第114回日本医師会定例代議員会
定刻になり、仮議長に中島雪夫氏(島根)が選出され、仮議長より開会宣言が述べられた後、出席代議員の確認(氏名点呼)が行われ、定数である350名の全代議員の出席をもって会の成立が確認された。
続いて中島仮議長より議事録署名人として佐々木繁氏(新潟)、浅野定弘氏(滋賀)が指名され、議事が進行された。
(1)議長選挙
定数1名に対し候補者は1名、投票によらず石川育成氏(岩手)を当選人と決定した。議長に当選された石川氏は「これまで3期6年間の副議長の経験を踏まえて代議員の生の声を反映させ、秩序ある日本医師会代議員会の構築に努める」と挨拶した。
(2)副議長選挙
定数1名に対し候補者は1名、投票によら ず有山雄基氏(奈良)を当選人と決定した。
※副議長選挙終了後、議長より8名の議事運 営委員(各ブロック)が指名され、役員選 挙の進行を確認するため議事運営委員会が 開催された。
(3)会長選挙
定数1名に対し候補者は現職の植松治雄氏 (大阪)、唐澤人氏(東京)、金丸昌弘氏 (京都)の3名のため、選挙立会人並びに開票 管理人の立ち会いのもと選挙が行われ、開票 の結果、唐澤人候補者が当選した。
※唐澤人氏198票、植松治雄氏152票、金丸昌弘氏0票
(4)副会長選挙
会長選挙の結果を受けて植松キャビネット として立候補していた3氏が立候補を取り下 げたが、定数3名に対し、唐澤キャビネット として立候補した宝住与一氏(栃木)、岩砂 和雄氏(岐阜)、竹嶋康弘氏(福岡)、単独で 立候補した土屋隆氏(長野)の4名のため、 選挙立会人並びに開票管理人立ち会いのもと 選挙が行われ、開票の結果、宝住氏、岩砂 氏、竹嶋氏の3人が当選した。
※宝住氏192票、岩砂氏230票、竹嶋氏252票、土屋氏133票
続いて、(5)理事、(6)常任理事、(7)監 事、(8)裁定委員の選挙が行われ、常任理事 選挙については、植松キャビネット候補者は 立候補を取り下げたが、定数10名に対し、単 独候補者1名と唐澤キャビネット立候補者10 名の計11名で争われることになり、20年ぶ りの投票に持ち込まれた。投票の結果唐澤キ ャビネット候補者の10人が当選した。理事、 監事、裁定委員については、いずれも定数内 の候補者で投票によらず当選人を決定した。
唐澤新会長は、当選者を代表して「このうえ は降り掛かる医療改革の嵐の中で誠心誠意を 尽くして頑張る所存でありますので、ご協力 をお願い申し上げます」と挨拶を述べられた。
なお、選出された新役員等の陣容は以下の とおり。
会 長 | 唐澤 人(東京) | |
副会長 | 宝住 与一(栃木) | 岩砂 和雄(岐阜) |
竹嶋 康弘(福岡) | ||
理 事 | 松田 尚武(福井) | 井石 哲哉(長崎) |
有海 躬行(山形) | 嶋津 義久(大分) | |
鈴木 聰男(東京) | 川島 龍一(兵庫) | |
藤原 淳(山口) | 村山 博良(高知) | |
福田 孜(富山) | 飯塚 弘志(北海道) | |
大久保幹雄(山梨) | 柏井 洋臣(和歌山) | |
原中 勝征(茨城) | ||
常任理事 | 今村 聡(東京) | 羽生田俊(群馬) |
石井 正三(福島) | 今村 定臣(長崎) | |
飯沼 雅朗(愛知) | 天本 宏(東京) | |
鈴木 満(千葉) | 木下 勝之(東京) | |
内田 健夫(神奈川) | 中川 俊男(北海道) | |
監 事 | 北野 邦俊(熊本) | 師 研也(宮城) |
中嶋 寛(三重) | ||
裁定委員 | 樋口 忠(北海道) | 油谷 桂朗(京都) |
皆川 憲弘(茨城) | 新美 毅(埼玉) | |
奈良喜成(東京) | 柏木 明(熊本) | |
知念 昭男(東京) | 嶋 多門(福島) | |
藤井 康宏(山口) | 梅田 俊彦(石川) | |
山田 治洋(山梨) |
なお、会長選挙の投票前に辻政義氏(福岡) より、井上尊文氏(熊本)、福田昭生氏(大分) の2名の賛同のもと、石川代議員会議長に対し、 今回の選挙は熾烈を極めたが、国民医療を守る ために立候補した旗印は同じである。後にしこ りをのこすようなことは絶対に許されない。日 医の一致結束を内外に示すため、選挙終了後に 会長選挙立候補者全員を壇上に迎えて互いに握 手すること。また今後複数の立候補者が出た場 合の慣例にして欲しい旨緊急動議が提出され た。動議は、議事運営委員会で検討され、石川 議長から、敗れた候補者を舞台に上げるのは忍 びない。今後どのような形で選挙後の対応を決 着していくか検討していきたいとの答弁があ り、提案者、賛同者の同意を得て、対応を議 長、副議長に一任した。
唐澤会長から所信表明(別紙全文参照)が述 べられると共に、高久日本医学会長より、「日 本の医師を集約し代表しているのが日本医師会 であり、日本の医学・医療について幅広く積極 的に声を上げ、実践することを強く期待する」 と挨拶が述べられた。
その後、竹嶋副会長から平成17年度の会務報 告が行われた後、引き続き議事6議案について 審議されると共に、ブロック代表質問(4件)及 び個人質問(9件)についての質疑が行われ、日 医役員選挙の見直しや日医総研の充実・強化、 福島の産婦人科医逮捕に係る質問が相次いだ。
日医役員選挙の見直しについては、会長選挙 について全会員の直接選挙の提案があり、唐澤 会長は、直接選挙は莫大な費用がかかると指 摘、現段階では実施は困難としたうえで、実現 できれば素晴らしい、今後直接選挙の方向は念 頭に置きたいと述べた。その他、キャビネット 制による選挙について、優秀な人材確保が極め て困難である。会長、副会長のみを選挙の対象 にし、常任理事は、会長、副会長が相談し、ブ ロック医師会からの推薦者を含めて決定する制 度の提案があり、これに対し、岩砂副会長は、 チームの全ぼうが選挙前に見えないことにな り、混乱を引き起こすと述べた。
日医総研の充実・強化については、日医総研 所長に就任した竹嶋副会長から、日医総研はあ くまで政策シンクタンクであり、元通り再生・ 活性化させなければならない。日医総研の再生 に向けて「日医総研戦略会議」(仮称)を設置 し、日医総研をどう活用し、政府にどう提言 し、国民に向かって資料をどう公開していくか 等、日医総研の研究員としっかり膝をつき合わ せて協議していきたいと述べた。
福島県立大野病院の産婦人科医師が業務上過 失致死罪と異常死の届け出義務違反(医師法 21条違反)で逮捕された問題について、木下常 任理事は、民事事件にとどまらず、刑事事件ま で発展するケースがすべての診療科の訴訟事件 で起こりつつある。異常死の問題についても法 医学会、外科学会の見解が異なり、正式な定義 がはっきりしない。自然な死か不自然な死だっ たのか、届け出るべき事例を明確化するため他 学会と検討して指針を出したいと述べた。また 唐澤会長は、この問題を社会的に提起して、日 医としても専門家、一般国民、患者の声を入れ てしっかり検討していくことが大事。担当理事 を中心に具体策を作りたいと述べた。
議事
第1号議案 平成17年日本医師会会費減免申請の件
宝住副会長より資料に基づいて提案理由の説 明があり、賛成挙手多数により原案どおり承認 された。
第2号議案 平成18年度日本医師会事業計画の件
第3号議案 平成18年度日本医師会一般会計予算の件
第4号議案 平成18年度医賠責特約保険事業特別会計予算の件
第5号議案 平成18年度治験促進センター事業特別会計予算の件
第6号議案 日本医師会会費賦課徴収の件
上記2号議案から6号議案について関連事項 として一括上程され、第2号議案について竹嶋 副会長より、第3号議案から6号議案について 宝住副会長よりそれぞれの提案理由の説明が行 われた。
また、宝住副会長より追加議案として日本医 師会役員等功労金支給の件について、今回退任 された前役員の先生方への功労金支給について の提案理由の説明があり、賛成挙手多数により 原案どおり承認された。
なお、議案の審議について、議事進行の都合 により、議長から予算委員会を設置して同委員 会に一括審議を付託することが提案され、賛成 多数で承認され、予算委員25 名が指名され、 別室にて審議が行われた。
代表・個人質問終了後、辻政義代議員(福岡 県)より、第2号議案平成18年度日医事業計画 について、同事業計画(案)に、日本医学会と の連携強化について追加して欲しいとの提案が あり、竹嶋副会長から、事業計画の中の当面す る重要課題に「日本医学会との更なる連携強 化」の項目を追加する旨答弁があった。
その後、予算委員会の木村予算委員長より、 第2号議案から6号議案まで、それぞれ担当理 事から説明を受け、慎重に審議した結果、全会 一致で原案どおり承認した旨の報告があった。 以上の報告を受け、本会議における評決を諮っ たところ、賛成起立多数により、原案どおり承 認可決された。
最後に、唐澤会長から閉会の挨拶が述べら れ、代議員会は閉会した。
投票風景
代議員の先生方、おはようございます。
昨日は長時間にわたり、役員の選出のご審議 を賜り、誠にありがとうございました。会長選 挙、副会長選挙、常任理事選挙ほか新役員をご 選出いただきました。会長選挙には、私のほ か、二名の方が立候補されましたが、基本理念 と目指す方向は、同様であろうかと思います。 他候補を支持されました多くの代議員のご意見 がありましたことを十分に心に留めまして、今 後の会務運営に当たりたいと思います。ことに 他候補のご提言は謙虚に受け止め、全会員のご 意見とご支援を賜りますよう心からお願い申し 上げる次第であります。
ご高承のとおり、近年の医療を巡る環境は一 層厳しいものとなっております。
少子高齢社会の進展と社会構造の変化、科学 技術の進歩と国民医療の状況は、一段と大きな 変貌を遂げようとしております。
さらに、わが国の財政事情の逼迫は、社会保 障制度におきましても大きな影響を与えており ます。ことに与党の医療制度改革大綱、厚生労 働省の医療制度改革試案などいずれをとって も、財政主導型の内容となっております。この 流れは必ずや提供される医療の質の低下を招き かねません。
国民医療と申しますものは、全国各地域にお ける特色ある医療の状況そのものであります。 良識と誠意を持った医師が懸命に医療を提供し ております。国民の求める医療として、大きな 評価をいただくことが、財政主導型の医療から 脱却するための唯一の道筋であろうと考えてお ります。そのような地域の医療を医療提供のデ ーターベースに盛り込むことによって、われわれ の医療政策に具体的な国民の要望として反映さ せることが、真に魂の入った説得力のある医療 政策となり、国政、行政官庁、国民にとって大 きな力強い提言となるものと確信しております。
各地域において小児医療の問題、産婦人科医 の不足とか、勤務医の過重労働、医師の偏在な ど枚挙に暇のない課題が山積しております。病 院と診療所、勤務医と開業医など、多くの医師 の意見をまとめて日本医師会の意見として集約 していく必要があります。そのためには会員と 日医の距離をより近いものにしてさらに国民と 一層距離を近づける努力もなさなくてはなりま せん。
今回このような形で執行部が変わりました が、本日議案として提出されております事業計 画、および予算に関しましては、会長、副会長 等も本議案の決定に参加しておりますので、基 本的にはこの内容でご承認いただきたいと考え ております。
しかし、先に申し述べましたように、内外と もに流動的な事態となっておりますので、今後 これを実施していく過程で、新しい事態、ある いは見直しなどが必要な事項が生じた場合に は、その時点で改めて皆様のご意見をお伺いす ることもあるかと存じますので、その節は宜し くお願い申し上げます。
議案につきまして慎重ご審議のうえ、ご承認 賜りたくお願い申し上げます。どうか今後とも ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
第114回日本医師会定例代議員会印象記(エッセイ風)
副会長 玉城 信光
「335番、玉城君」議場が閉鎖され代議員の点呼が行われた。沖縄の代議員席は北海道の前で ある。350番、最後は一昨年全国有床診療所協議会総会を開催して頂いた北海道の西池先生であ った。
日医の事務局長であろうか、350名全員の点呼を行うのは大変なことである。熾烈な選挙戦が 戦われてきたことを物語るように代議員は全員出席であった。最初は代議員会議長と副議長の選 挙である。こちらは立候補者1名づつで無投票当選である。
いよいよ日本医師会会長選挙である。3名の立候補者がいる。植松治雄、金丸昌弘、唐澤人 の3名である。石川育成新代議員会議長の下、選挙立会人3名が指名され、壇上の投票箱の前に陣 取った。投票箱が空であることを代議員に示し、投票箱が施錠され、いよいよ選挙である。
私は金曜日の東京行き最終便に乗り、ホテルに着いたのは午後11時過ぎであった。ビールを飲 んでそのまま寝入ってしまった。朝は7:30集合とのメッセージに早く起きて朝食に降りたとき、 事務局の皆と初顔合わせである。駒込駅で電車を降り、日医会館まで行くと、玄関先では東京の 応援団、現執行部の応援団が名簿を配り、最後の選挙運動である。聞くところによると、金曜日 の夜に東京の理事が各地区の代議員の宿舎を訪ね、最後の前?のお願いをしたとの事である。大 変な選挙である。九州地区の代議員は8時30分から5階の九州の控え室で最後の出番を待ってい る。そこに最後のお願いに、唐澤候補を先頭に各候補者が訪れた。次いで植松候補の執行部がお願 いに訪れた。
会長選挙は1名の氏名記載なのでそれほどの時間はかからなかった。呼び上げられた代議員が 投票用紙を受け取り、壇上の記名台で記入の上、投票箱に投票した。県会議員選挙などで行われ ている選挙と変わらないのである。壇上から降りる途中で前日医代議員会議長、全国有床診療所 協議会会長の内藤先生のお顔を拝見し、挨拶ができた。有床診療所の常任理事の多くが代議員会 に出席していたことは頼もしい限りであった。唐澤候補198票、植松候補152票、金丸候補0票、 唐澤候補の当選が宣言され、昼食休みに入った。
「よかった、よかった」九州地区は唐澤支持でまとまっていたのでお祝いムードである。沖縄 の代議員もほっとして、おいしい昼食であった。午後は副会長選挙である、福岡の竹嶋先生が立 候補しているので、是非とも当選していただかないといけない。午後も午前と同様に議場の閉鎖 が行われ副会長の選挙が行われた。唐澤会長が当選したので、植松陣営の副会長、常任理事候補 がすべて立候補を取りやめたのである。このようなキャビネット方式の選挙では、はたして全国 の英知を集めた強力な日医を作っていくことができるのか。大きな問題である。副会長選挙は3名 の定数に対し4名の立候補があったが、すべて唐澤支持者が当選した。
次の常任理事の選挙が大変である。定数10名に対し11名の立候補がある。投票用紙に10名の 氏名を書くのである。350名が次々と壇上にあがり、10名の名前を書いて投票することの大変な こと、想像を絶するような長い時間が流れるのである。その間議場の外へ出ることは許されない。 1時間以上が経過し投票が終わった。議長によると20年ぶりの選挙で、20年前は開票に3時間かかったとの報告があり、皆そのつもりでいて欲しいとのメッセージが発せられた。「大変なことに なった」議場が開かれたとたん、皆一斉に外へ飛び出した。桜が満開の六義園の前には長い行列 ができている。行楽日和の中でしばし頭を休める時間をいただいた。
議場に戻りしばらくすると、選挙結果がでた。予想通りの当選であった。代議員のすべてが感 じていたことであろう。このような熾烈な選挙をしたのだが、全員が考えていることは国民のた めの医療、日医の結束であることは間違いない。福岡の辻先生から会長候補の二人の和解が提案 されたが、代議員会議長が今後、対処方法を考えていくことで預かりになった。
その夜は唐澤陣営の祝賀会が開催され、九州各県の先生方とともに沖縄のわれわれも祝賀会に 出席し、竹嶋副会長に挨拶をさせていただいた。今後九医連の仕事が日医に反映されることが多 くなることを予感しながら、新しい執行部の私を含め、宮城会長、小渡副会長と事務局の皆で遅 くまで酒を飲んでしまった。
印象記
副会長 小渡 敬
去った4月1日、2日に第114回日本医師会定例代議員会が日医会館で開催された。本会は定例 代議員会であるが、日医の会長・副会長をはじめ執行部を選出する重要な会であった。全国から 代議員が集まり、ひとりの欠席も無く350名が皆出席であった。日医の玄関前には両陣営の支持 者が出迎え各候補の支持を訴えており、控え室は各ブロック別に集まり、各々が推薦する候補者 の確認と投票に向けての引き締めの演説が行われた。開会前より緊迫した雰囲気が漂っていた。 代議員会が開会され、冒頭に福岡県選出代議員の辻先生より、投票終了後にしこりを残さないた めに、勝者も敗者も壇上に上がり握手を交わし、日医が一枚岩であることをアピールすべきであ るという動議が提出され拍手も起こったが、その場では採決されず、議長采配で議員運営委員会 で検討することになった。その後選挙が行われ、既に周知のとおり、会長は東京都の唐澤先生が 選出され、副会長は福岡県の竹嶋先生ほか岩砂先生、宝住先生が選出され、その他常任理事、理 事等の新執行部が決定した。その際、植松先生のキャビネットが総辞退したため、執行部は総入 れ替えとなる激しい選挙戦であった。動議については、敗者を壇上に上げるのは忍びない、日本 の文化(武士道)にはそぐわないという議長の強い意向があり、辻先生もそれを納得し動議を取 り下げた。それに対する議長の采配は、なかなか思慮深いものであった。また午後の常任理事の 選挙では、10名選出に対して11名が立候補しており、投票および開票に長時間を要し、その間議 場は閉鎖され甚だ時間を持て余したが、常任理事選挙は20年ぶりとのことであり、また、これか らの日医の執行部を決める機会に立ち合えたことを有り難く受け止め、堪え性のない私は、ひた すら辛抱した。これからの厳しい時代に日医執行部の活躍に期待したい。